熊本史雄『幣原喜重郎』中公新書、2021年

 本書はタイトル通り、幣原喜重郎の生涯、特に外務官僚から外相として活躍した時代を描く。本書を読むと幣原の手法は同時代から見ても古臭いやり方であることがよくわかる。幣原は明治そして大正の諸外国の使節から外交の基礎を学び、自身の外交観を形成した。彼の外交観は公明性と長期的な視野がポイントであった。彼の外交観は、外務官僚として立身出世を果たす上で有用であった。

しかし、彼が外相として活躍するころには、中国は新しい革命外交という様式を用い、国内では軍部の台頭があった。そうした中で幣原のやり方は守旧的であり、軟弱と評された。とはいえここまでは従来の幣原の描かれ方である。幣原は2回目の外相を退任したのち、戦時中はほとんど隠遁の生活を送る。幣原は被害者として扱われることが多い。

だが、本書では幣原が満蒙の権益をあくまで重視していたこと、アメリカの新外交や中国の革命外交を批判していたことを取り上げ、幣原のまなざしの中に現代から見れば批判され売るべき側面があったことを指摘する。

これが新書で評伝を読む面白さであろう。幣原のやり方を賛否両論から描くことで幣原の考え方だけでなく、その時代の思想も表出させることができるのである。

そして、幣原は隠遁したままで生涯を終えることはなかった。戦後首相として政界に復帰し、新たな日本国憲法の策定に関与した。本書では彼は9条という戦後日本を表象する規範ともなっている部分について、自らが立案者としてふるまうことで、日本国内で憲法を受容させようとした人物として描かれている。短期的に見れば、マッカーサーとことを荒立てず、なおかつ国内政治を安定させるための苦肉の策であったのであろう。事実、本書では幣原自身がそこまで憲法の改正を重視していなかったことが指摘されている。

とはいえ、幣原が重視したのは、長期的視野による外交であったはずだ。彼が9条の発起人としてふるまうことが長期的に見て、理に適っていたか、今の戦後日本はまだその答えを出せていないように思う。